梅干しのこだわり3(地域や地球と共に)

三つ目のこだわりは、ちょっと大きく地域や地球と共に、と書きました。

改めてご紹介しますと小田原の曽我梅林は、小田原市の東側を南北に広がる約3万5千本の梅の木が植えられている広大な梅林で、関東三大梅林の一つとも言われております。毎年2月から梅の花の季節には梅まつりが開催され、多くの花見客でにぎわいます。様々な品種の梅の花が次々と咲き誇る園内には濃厚な梅の花の香りが漂い、なんとも幸せな気持ちになります。


一方で人口減少と高齢化はかなり進んでおり、梅林の耕作放棄地も増え続けております。跡取りがいらっしゃる農家さんは1割いるかいないかで、継ぐ人がいなくなってしまったら農業技術も途絶えてしまいます。
80代になって農業を辞める人が増え、60代後半くらい(現役バリバリ)の残された農家さんに農作業のドミノ倒しが集中しています。「俺ももう歳だし、息子は農業やるつもりないし、来年からここやってくれない?」とお世話になった農家の大先輩から頼まれたら、断ることはなかなか出来ません。自分の園地のお手入れは後回しで、飛び地になった農園をあちこち飛び回るてんやわんやな事態が始まっています。
このままではあと10年もしないうちに、曽我梅林の様子はずいぶんと変わってしまうことでしょう。

曽我梅林の中には住居が点在しています。

写真手前の白く見える部分が梅の花が咲き誇る曽我梅林の一部です。

多くの農園は梅の実が大きくなっていく3~6月にかけて複数回農薬を散布するのですが、住居の周りの農地は複数の所有者であることが多く、いつどこで農薬散布が始まるかわかりません。春先の気持ち良い季節なのに住んでいる方は外に洗濯ものや布団を安心して干しておくことが出来ません。家の窓を一日中締め切っている方もいらっしゃいます。
農家さんに話を聞いても、「農薬を撒きたくて撒いているやつなんかいないよ」とおっしゃいます。農薬は劇薬ですので数百~数千倍に希釈して使いますが、希釈率を間違えると葉っぱが全て落ちてしまったり、誤って皮膚に付着すると焼けただれたりしてしまいます。散布の際は全身防護服を着て、N95防毒マスクにゴーグルを付けますが、農薬散布は晴れた日に行うため、春先とはいえ気温が高くなる日もあり、熱中症や脱水症状で倒れる人もいます。農薬にも散布する機械にもお金がかかります。「昔はこの川にドジョウやホタルがいたんだよ。農薬と生活排水でいなくなっちゃったけどね」と少し寂しそうにお話されます。
こんな思いをしてまでなぜ劇薬の農薬を使っているのだろう?と素朴に思いますが、それは主に梅の実の「黒星病」「すす病」「かいよう病」という病気を防ぐためです。これらの病気は人間には全くの無毒・無害で味にも影響ありません。しかし表面に1mmほどの黒い点が2,3個あるだけで農協や業者さんの買取価格は半分以下に下がってしまいます(これが独自販路を持たない専業農家には痛いのです)。

黒星病。他にもかいよう病、すす病などがあるが、いずれも人体には無害、無味無臭。

そんな見た目のためだけに劇薬を使って、ここに住んでいる人たちも農家さんも大変な思いをして、ここで生きている虫や魚が住めなくなってしまうならば使いたくはありません。多少そばかすがあっても気にせず買って頂ける方たちが増えてくれるならば、少しずつでも曽我梅林を農薬を使わない地域に変えていけるかも知れない。春先に気持ちよく家の換気をして外で洗濯物を干し、またドジョウやホタルが見られる場所に出来るかも知れない。そう考えています。

今から50年ほど前は、梅の開花~収穫時期が今より一か月ほど遅かったそうです。梅雨と呼ぶように、6月の梅雨時期になってから収穫だったものが、昨年は梅雨が始まる5月末にはほぼ収穫が終わっていました。昭和30年代は小田原周辺が温州みかんの一大産地であり栽培北限でしたが、今は新潟や福島にまで栽培可能になっています。そして現在の小田原ではパパイヤやドラゴンフルーツなど、かつては南国の作物だった苗を売っています。
いろいろな作物が育って良いじゃないか、植物は暖かい方が育ちが良いだろう、という方もいらっしゃいます。しかし果樹は虫が花粉を運んで受粉してくれるおかげで実がなります。その虫が羽化するよりも早く花が咲き始めてしまったら、実がならなくなってしまいます。今まで発生しなかった病害虫の被害が出るようになったり、雑草が繁茂する勢いが激しくなり作物の栽培がますます困難になってしまいます。昨年は集中豪雨で山崩れが起きて広大なみかん園が流されてしまった農家さんがいらっしゃいました。果樹は苗を植えてから収穫し始めるまで数年かかります。被害は単年で終わらず数年続きますし、通常の営農でさえ忙しいのに復旧するための時間などはありません。実がならなくなってしまったら、ましてや果樹がダメになってしまったら、耕作放棄あるいは離農するしかないのが実態です。

土砂で流れ落ちてしまったみかん園の農地。果樹が再び出荷出来るまでに5年以上必要。

似たようなことは、小田原だけでなく世界規模で起きていると考えています。干ばつや豪雨、季節外れの大雪や大規模な山火事など、異常気象と呼ばれる現象が日常化しています。米国では大規模耕作を支えていた地下水が枯渇しはじめたり、遺伝子操作作物だけ生き残るように開発した農薬に耐性を持つ虫が出始めています。さらに温暖化対策として石油燃料の消費量を減らすために開発されたバイオ燃料の市場が成長し始めたため、食料を燃料にする動きも加速しています。そして、世界の人口はまだ当面増えていくことはわかっています。
世界は向こう10年で食べ物を手に入れるのが難しくなっていく一方で、食べ物を必要とする人は増えていきます。20年後には「昔はいろんな飲食店や食料品があって、お金を出せばなんでも買えた時代があったんだよ」と私も誰かに話をしているかも知れません。

食べて頂く方に安心して良いものを食べて頂きたいことはもちろんですが、作っている地域のことも、そしてその先につながっている地球全体のことも考えると、今残っている梅の木も、梅干しを作る技術や知恵も、取り巻く動植物や水や空気も大切にしていきたいと思います。シンプルに梅と塩だけで作る梅干しの技術を受け継ぎ、栽培から製造まで石油由来の薬品や添加物を使わずに、循環する材料を使った簡素なパッケージを心がけ、無駄なエネルギーや資源も極力使わないようにしよう、と思っています。

私が借りている蔵には、今は亡くなったおじいさんが20年前に家族のために作った梅干しが残っています。
食べてみるとちゃんと果実の風味が豊かに感じられました。菌検査を依頼した結果でも、食中毒菌などは一切検出されませんでした・・・スゴい!
冷蔵する電気も化学的な保存料も使わず、20年間常温保存されていても美味しく食べられる梅干しは、この先の時代に向けて大切なことを教えてくれる存在であると感じています。


地域で暮らす人も作る人も取り巻く生きものも、限りある資源も大切に
共に豊かに生きる持続可能な世界を実現していく一手として、手作りの梅干しを作っています。

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